Home > トップ記事抜粋 | ニュース > 火星計画への道程(2001年5月10日発行ウイッピータイムス13号より記事抜粋)

火星計画への道程(2001年5月10日発行ウイッピータイムス13号より記事抜粋)

「火星計画への道程」

 

貴方が火星計画のボタンを押す!

 「五井野博士、貴方が火星計画のボタンを押す人である」

 東京・表参道の喫茶店で、メリック博士(国際自然社会科学アカデミーアルメニア支部総裁)からまるでSF小説の世界の様に突然にこう言われたのは一九九五年六月の事である。

 メリック博士は一九九四年アルメニア国立美術館での私の絵画の展覧会の時に協力してくれた人で、会員から私の著作物等の内容の話を聞いて私を天才だと認識したそうで、そこで私にどうしても会いたいと、会員に頼み込んでいた。

 私もその話を聞かされて、メリック博士のその熱意にどんな人かと関心はあった。

 そういう経緯からメリック博士は一九九五年三月に私のアルメニア科学アカデミー名誉博士号の授与式にアカデミー総裁と一緒に来日し大町のセンターで初めて会ったが、その時は将に鉄腕アトムのお茶の水博士という印象で、私の想像ピッタリだけでなく私の待っていた人はこの人だと一目でピンときたのである。

 その時以来、何度かメリック博士にほんの少し物理宇宙理論を説いた事はあるが、その度に驚いて「五井野博士は天才だ、天才だ」と感激して握手を求められることはあったが、《火星計画のボタンを押すのは私である》という自覚に迫られたのは正直いって内心そうだとは思っていたとしても、現実的な私の今の状態においてこの様な権威ある第三者の人間から言われたのは初めてであり非常に驚いた。

 この時、メリック博士のポテンシャルの高さと強い直観力によって自然に出た言葉だろうが、これが次々と現実的な形となってくるにつけ単なる直観力だけの言葉でない事に気付く様になってきた。

 つまり、その年の九月私がアルメニア大統領より直々に駐日アルメニア名誉領事に任命される為にアルメニアに行った時の事である。

 

                          

(写真1

(アルメニア大統領(中央)から駐日アルメニア名誉領事に任命された五井野博士。現在、某宗教団体の妨害が続き、国交断絶状態になっている)

 

 その時、アルメニア国立科学アカデミー総裁他、アカデミー幹部との交流会とアカデミーとの協定書のサイン等をしたが、彼らは口々に我々はロケットの打ち上げ技術を持っている。五井野博士が宇宙計画を進めて行くならば我々は五井野博士の下で協力してゆくと、真面目に語ってきた事があった。

 つまり三月、六月とアルメニア科学アカデミー一行団が来日してから彼らは私の話を社交辞令的に受け止めたのではなく、真面目にそして研究の価値があると認識してその具体的効果をどんどん押し進めようと努力してきたのであり、私は日本人にはないひたむきで純粋な彼らの姿に感動した。

     (写真2)

アルメニア国立科学アカデミーにてアカデミーとの協定書に調印する。右側はサーキシャン・アカデミー総裁。左側はメリック・オハンジャニアン博士

 さらに、その後ロシアにおいてロシア自然科学アカデミーの幹部が私をある秘密の工場に迫れて行ってくれたのだが、それは将に映画の中に私がまるで主人公として飛び込んでしまった様な錯覚さえ起こす程の印象として私の記憶に残す事になる。

 それは前々から夢で見ていた光景とよく似ていて、(川崎に住んでいた頃の近くの工場の風景とダブっていて現実的な風景の夢と思っていたが)大きな古ぼけた建物がコの字形に路地を取り囲んでいた。

 私と通訳、それにアカデミーの幹部を乗せた車はそこでストップして、私は車から降ろされたが、アカデミー幹部はその建物の古ぼけた看板を指して名称は工場になっているが、それはここが秘密の宇宙計画研究所である事を知られたくない為のカムフラージュである事を説明してくれた。

 中に入ると厳重なチェック所があり、そこを通過すると大きな内庭があり、その真ん中辺りに大きな建物が数棟建っていたが、はずれの突き当たりの大きな建物の中に案内された。

 何階だったかは忘れてしまったが、多分五~六階まで登ったと思うが広い部屋に通された。そこで、テーブルを囲んでこの施設の責任者が二~三人付き添いと一緒に私と対持してミーティングを行った。

 責任者は設計図を広げながら、この建物はマース(火星)計画の為に使われ、貴方つまり、私がマース計画のプロジェクトの主任としてスタートする意志があるかどうかを告げてきた。私は非常に驚き、賛意を述べたが前もっての話は聞かされていないので、具体的な話は後に延ばした。

 その後、別な部屋に案内され、ここがプロジェクトの司令官として私の執務室となると言われ、窓の外を示して、もし貴方、つまり私が望むなら外からこの建物に入る専門の入口を作っても良いと言われた。

 窓の眼下には小さな池と並木道や緑地地帯があり、そこに車が通れる様な道を造作して、この建物の入口に入るだろうと想像をしたが大きな金がかかるなと思い、その金は私が出さなければならないのだろと勝手に思いこんでしまったので、素晴らしい考えですとか何とか言ったと思うが、火星計画という目の前の現実を実現するには先ず、大きなお金を作らなければという思いが頭の中に詰まって、夢の様な感じはまったく起きなかった。

 もちろん私に経済的負担の話をしてきた訳ではない。むしろ生活保障がされるかもしれない。しかし、その場合は私はロシアの火星計画の中の単なる一人の役割でしかないだろうし、私もいつのまにかロシアの火星計画の枠の範囲でしか言動も行動も許されなくなるだろう。

 ところがロシアは今、財政難である。これは逆に言えば私がもし財政的なものを私自身で作り上げる事が出来るならば私の考えによる私の考案するエネルギーと宇宙艇による私の火星計画が私の思うままに出来る事になる。

 私の計画を現実的に実現化するにはこの方法が一番最適で、私に課せられた運命であり私の望む世界であると考えを新たにして、この火星計画を胸の内にしまったのである。

 

ガガーリンセンターで宇宙飛行士訓練

 

 (写真3

ガガリーンセンターの中にある実物大の宇宙船ミールを見学しているウイッピータイムス会員

 

その後、私は重力軽減装置やLNG新燃料による宇宙飛行艇の話をメリック博士と同席したタス通信の記者に述べたが、記者は五井野博士は国家の宝だと非常に驚いた。

 その話は上部機関に伝えられた結果なのか、それとも意志の力によるものなのか、私はやがて女性初の宇宙飛行士テレシコワ女史と宇宙空軍アカデミー総裁で宇宙飛行を三回体験したコバリョノク総裁と会うことになる。

 それは一九九七年三月五日ロシアのヤロスラブリ州でのテレシコワ女史生誕六十周年パーティーに招待された時である。

 (写真4) 宇宙飛行士幹部が見守る中、テレシコワ宇宙飛行士に花束をささげる五井野博士

 

州知事とテレシコワ女史、その友人、そしてコバリョノク総裁等、私とメリック博士を含め十数名でのテレシコワ生誕六十周年祝賀会の席上であった。

 私はまるで前から知人の如くコバリョノク総裁と対面し、コバリョノク総裁は私にモスクワに来たらアカデミー本部の訪問とコバリョノク氏の別荘に遊びに来る事を勧めた。

 コバリョノク総裁は制服に大きな三ツ星と胸に多数の勲章をつけた現役の大将である。それが、私と会うと、まるで金太郎の熊の様に私と腕を組んではしゃいで喜んでくれたのである。

 その時の私に対する姿勢は今も変わらず、今でも私と会うとそれまで部下に対して角張って毅然とした表情をしていたのをがらりと変えて子供の様に人なつっこく私と再会した事をはしゃいで喜んでくれるのである。

 それだけでなく時々、モスクワ空港にわざわざ出迎えてくれ、ある時は私達が飛行機から降り立つとメリック博士とコバリョノク総裁が待っていてVIP専用案内係の女性が嬉しそうにコバリョノク総裁と親しげな会話をして歩いていたのが印象的だった。

 途中ですれ違った軍人達がコバリョノク総裁を見ると驚きながら敬礼をして、二つのソビエト英雄勲章を付けている人を見たのは初めてだ等の言葉を述べていた事からも、いかにコバリョノク総裁がロシアにおいて、まれに見る偉大な地位を獲得しているかが感じられた。

 そのコバリョノク総裁が私の提案したLNGのロケット新燃料を研究したところ、ペイロードのコストが十分の一以下になりそれは画期的な事なので早急に実現化させたいと述べてきた事には、正直いって私の提案を真面目に検討して一年間位の期間の内にその結果を実務に組み込んで現実化させるという、この早さに本当に驚いた。

 更にコバリョノク総裁は米国のNASAにも考えつかなかったこの新エネルギーを私の立場を尊重してこのロケットエンジンを日口共同開発とする事にして、日本の科学技術庁とNASDAの責任者と会って是非とも実現したい旨を私に告げ、私もそれに応じてコバリョノク総裁を日本に招待する事を約束した。

 コバリョノク総裁の来日の前にウイッピー総合研究所の所員である東京大学ロケット工学卒業の清水貴夫氏とチェルノブイリのガンの子供達を救う為に一緒に活動してくれた三川かすみ女史が宇宙飛行士になるために一九九七年九月からガガーリンセンターで宇宙訓練の試験を始めた。

   

(写真5-1)                      (写真5-2

宇宙酔い防止訓練を受ける清水君     3Gから4Gの加重力テストを受け合格する

その結果、清水氏はすぐにでもロケットに乗れると大きな適正評価を得られた。

 

 拉致未遂事件が起こる

その年の十月、コバリョノク総裁が約束通り来日した。コバリョノク総裁は私と一緒に故小渕元総理(当時外務大臣)、谷垣科学技術庁長官、久間防衛庁長官等の重要人物と会談を行い、日・ロの宇宙開発協力が進められた。

                                    

 

(写真6-1)                                                   

元小渕首相の右側がコバリョノク総裁、左端がメリック博士       

 

 

 

(写真6‐2)

中央が谷垣科学技術庁長官(当時)、右端奥が総裁

 ロシアから初の大将がやってきたという事で宿泊先のニューオータニホテルでは公安が二十~三十人警護していたという情報が後で入った。そして、京都観光を楽しんでいた時に、京都から急遽広島の平和公園に予定を変更して、広島のホテルに泊まった時の事である。

 私名義のメリック氏の部屋に無言電話が三回夜中にかけられ、メリック氏がコバリョノク総裁の部屋に行こうとして部屋を出た時にドアの外に三人の大男が待ちかまえており、拉致される寸前にメリック氏は慌てて逃げ去ったという事件があった。

一体誰が何の目的で私、もしくはメリック博士を拉致しようとしたのだろうか!!

 読者には推理小説まがいのこの私の話に驚いた方もいるでしょう。当然この事件の前兆となる出来事がロシアやウクライナで起きていた。

 それは、私が開発したG・P(現在デンマークの、日本の薬事審議会に当たる政府機関から治験医薬品として登録され、フェイズIIの臨床試験が行われ、大変な効果が実証されたところである)によるチェルノブイリの原発事故でガンに苦しむ子供達を救うボランティア活動を行っていた時である。

 

  (写真7南欧やロシア、ラトビア、ウクライナ等の新聞にGOPの大きな効果が掲載される

 

 新聞テレビ等で、私の大活躍が報道されると、私のホテルの部屋にとぎれなく同一女性のコールがかかり、電話を切っても、切っても、しつこくかかってきた事がある。

 ロシアのホテルにおいても同様の事件があり、私の本を読んだのですぐに会いたいと英語で話しかけてきて、断ると「カモンベイビー」 と連発する。

 外国でさえこうなのだから、ましてや暴力団との関係を取りざたされている某宗教団体が支配する日本なら何でもありで、だから私は拉致される事を警戒していたのである。

 

 (写真8)  瀕死の状態の子供(右)は五井野プロシジャーを飲んで奇跡的に次の日から回復した。

 

 その後、キエフの国立ガンセンターでは50人の子供達が、全員良くなってきたところで、センターの所長が突然三〇〇万ドルを出さなければ、活動を続けさせないと言ってきた。 

おかしいと思ったメリック博士が色々情報を集めると、私を取材していた記者から、日本の某宗教団体が、ガンセンターと接触していたという情報が入った。

 ラトビアの国立ガンセンターでも大成果が新聞に載った後に、病院側の態度が突然におかしくなった事があった。

 キエフの場合、噂では三億円の金が日本から援助されたと、しかも現地では某宗教団体が出したという話になっているのだ。本当かどうかは真偽の範疇であるが、もし本当だとしたら、日本のチェルノブイリ基金が、現地では某宗教団体の基金にすり替わってしまっていることになるから、大問題である。

 追求してみると、その噂を裏付けるようにウクライナの日本大使館には、実は某宗教団体の外務省メンバーである、問題のI氏が赴任していたのである。

 この間題のI氏とは?!

 過去に遡って話を進めると、一九九六年一月に、I氏が、外務省の機密書類を盗んでいるところを、外務省の査察官に捕まって、私の在日アルメニア名誉領事就任の日本での妨害や、エルミタージュ美術館の展覧会への妨害、私への暗殺未遂も含めて様々な妨害事実を白状したことにより、外務省筋の人達に知れ渡った事件が起きた事より始まる。

 

                        

                      (写真9) ロシア大使、ロシア芸術アカデミー幹部一行団が出席して五井野博士の名誉アカデミシャン授賞式が執り行われた。

 この事を某宗教団体側は何とか世間に知らされるのを阻止しようしたのか、四月にロシア大使館で行われる予定であった、私のロシア芸術アカデミー名誉アカデミシャンの授賞式を、疑称六代豊国(裁判で六代豊国は自称であると判決され、自称六代豊国は完全敗訴となった)と金で買収されたと思われる自称画商の男がロシア大使館内に歌川派門人会の名を語って、二~三時間近く居座り、私への虚偽の中傷を行い、授賞式の中止を求める妨害騒ぎが起きるという事件が起きた。

 それ以来、何かと公な重要な催しがあると彼らは妨害を起こす為、当会で公安に警護を頼んでいた経緯があった。

 しかし、それにしても予定になかった宿泊先に移動するとたちまち公安の警護の不備をついて、我々を泣致しようと三人の男がホテルの中にまで押しかけてくる事実には大変びっくりした。

 もちろん、この事はホテル側に知らせただけでなく、ロシア大統領府にまで知らされ、恐らくエリツィン大統領の耳にまで届いたことだろう。

 と言うのも、エリツィン大統領とは一九九六年の秋、大統領の容体が非常に危険な時にG・P(五井野プロシジャー)による治療に私は急遽モスクワに行った事があり、その後奇跡的に回復して非常に感謝された時以来の私の守護者と言える方で、私の北方四島十年後返還の提案に対しても支持してくれていたからである。

  大統領の配慮でサンクトペテルブルグ市において私の911(民間救助機構)の提案に対して、当時の市長であった故ソプチャック市長に間接的に働きかけてくれ、当時副市長であったプーチン現大統領が協力してくれて911を創立し、私が創立者会長となった。

       

(写真10-1)                   (写真10-2

サンクトペテルブルグ・ソプチャック元市長(写真10‐1の右端)が当時副市長だったプーチン首相に911設立協力を求めた文章(写真10-2)。一行目にはプーチン氏の名前が記述されている

 

話せばきりがないが、そういう訳でいろいろと妨害を受けながらも日・ロの民間交流と親睦を続けている。

 コバリョノク総裁の来日の次の年の四月頃、ロシアの国防大臣が来日してロケットの新燃料の開発等、日・ロの宇宙開発協力が進められ、翌年朝日新聞等にNASAも欲しがる新燃料ロケットエンジン技術という内容で私の提唱したLNGロケット燃料がロシアに先立ち、日本で第二段ロケットに開発されたと紹介された。

 残念ながら日本の宇宙開発の人達が私からLNG新燃料の話を直接聞けば良いのになあという感じである。と言うのも、LNGロケット燃料はあくまでも宇宙高速艇に使われるものでエンピツ型ロケットに使用されるものではないという事。

 この事は私とコバリョノク総裁が科学技術庁に行った時に展示してあったエンピツ型ロケットの模型を見て、コバリョノク総裁は笑いながらそれを手に取って、これはまったくの旧式ロケットと言った事で解ると思う。

  確かにエンピツ型ロケットでは第一段目の急激な加速力と言う事を考えると従来通りの液体水素の方が優れていると当然思うだろう。しかし、だからといって第二段目のロケットにLNGを使ったからと言って安全性やコスト面でどれだけ画期的なロケットに変わる事が出来るというのだろうか?

 あくまでも米国のシャトル宇宙飛行艇の下地の設計となったブラウン計画の宇宙飛行艇に使われてこそLNG新燃料の効果が発揮するのである。さらに、私の考案するLNGロケットエンジンは実はこのLNGをある状態にして液体水素以上の加速力を作り出す装置の理論なのだ。

 つまり、安全で安く、しかも飛行機型の宇宙飛行艇なので発進時に急激な加速力をつけなくて済み、しかも速度も従来のロケットよりも段違いに速くなり、火星まで一~三ケ月で到着し、しかも多少の宇宙訓練で一般人でも簡単に行ける様になるという夢の様な宇宙高速艇である。

 これを中途半端な科学知識を持って夢物語と一言で言う人もいるだろうが、宇宙に行って来たベテラン宇宙飛行士が、しかも宇宙開発のトップの地位にいる人達が私と一緒に火星に行きたいと真面目に考えている人達の前で、その言葉を発したとしたら空しい浅はかな言葉にしか映らないのではないのだろうか。

 (写真11)  ソロビヨフ船長(左)と五井野博士とテレシコワ女史(右)

  貴方はどう思いますか?火星に行く夢を!?(2001年5月10日発行 ウイッピータイムス13号より)

 

                       

Home > トップ記事抜粋 | ニュース > 火星計画への道程(2001年5月10日発行ウイッピータイムス13号より記事抜粋)

ウイッピータイムス社

〒399-8602
長野県北安曇郡池田町会染5263-7
mail: wippii@avis.ne.jp

このページに対するご意見、ご感想等がございましたらメールをお送り下さい。
サイト内の文章、画像等の無断使用はお断りします。

Return to page top