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平和論文(タイムス7号より)

(平和論文) ヒロシマ、ナガサキ・・・チェルノブイリ

五井野正

 

 (解説) 五井野正博士は四月二十日以降にウクライナ共和国キエフに現地入りし国立オンコロジーセンターにて末期ガン患者二十名とチェルノブイリのガンに苦しむ子供達の救済活動を始める。  これに先立ち、五井野正博士の「ヒロシマ、ナガサキ・・・チェルノブイリ」の論文が発表され、米国、ロシア等の国々で感動の称賛が次々と起こり、全世界で「科学から芸術へ」とこの論文が含まれた本が発刊される予定。また、この論文はロシア連邦の世界大百科事典に全文掲載され、歴史に五井野正博士の名とこの論文が永遠に留められることになる。

(本文) 人類史上最初の原子爆弾による被災都市、ヒロシマ。その名は今なお、人類に核兵器の悲惨さや恐怖の代名詞として世界の歴史に書き留められている。

 日本人の多くが、この世界最初の核兵器の被爆国の国民として、学校教育の体験学習の中でこのヒロシマの地を訪れる事になっている。

 私も高校二年の十七才の時、修学旅行でこのヒロシマの地を訪れた。原爆がヒロシマに投下された二十二年後の事である。

 キノコ雲と廃墟の町という印象とは違って、二十二年後のヒロシマは世界のどこの都市とも変わらないビルと車と人の雑踏の繁栄した街並み風景である。

 ここに来ると、まるでここが世界最初の原爆投下地である事など嘘のような思いを、私のみならずここを訪れた誰しもがそう思ったであろう。

 原爆が悲惨であると誰しもが理解していても、その被災地を訪れたときに思い描く光景と現実の光景とのあまりにも大きな隔たりを観ると、原爆に対する怒り、あるいは恐怖というものが、灼熱の光線の中で全てが溶けていくように何もかもが過去の悪夢として消え去る気分になってしまうのだ。

 その様な状態の時、仮に原爆資料館で写真や資料、記録映画等を見たとしても、それは『過去』であり、『今』ではないのである。『過去』というものは記憶の意識であって現実の体験意識とはほど遠いものである。

 原爆の被害状況を今に伝える手段として最善な方法はその当時の被災状況を出来る限り保存し、残すことである。

 過去の都市の文明が世界の歴史の中に印象的に残される為には、その廃墟となった建築物の残がいを発掘し、保存し、学術調査するだけでなく、出来る限り多くの人々に観てもらう為に広く宣伝する事が重要である。そういう意味で、当時のヒロシマの町をゴーストタウンの様にそのまま残せとまで言っているのではないが、全人類の核戦争への警告として出来る限り保存し残せるものならば残すべきだと思うが、政治的な政策が無いままにその様な被災の建築物はどんどん取り壊されて新しい建物にとって変えられてしまった。 政治や経済が優先され、残された僅かな被災建物も、心ある市民の保存の訴えも無視されて取り壊され、今では数カ所にその当時の面影を残すのみとなっていた。その中で唯一とも思われる原爆爆心地の被災当時の状況を伝える廃墟の建物として原爆ドームが市内の中心部にある。

 ここを訪れる多くの人々がそうである様に、私もここで記念写真を撮った。不思議にも、それから二十年がたとうとしている今でも、それ以来写真を見ていないのに、その時の私の顔や学生帽と白いコートに身を包んで原爆ドームの前に立った当時の私の光景の写真が鮮明に思い出せるのである。

 この原爆ドームが世界遺産として、原爆投下の一九四五年より五十一年が過ぎた一九九六年十二月に「平和の象徴」として登録される事となった。原爆によって無惨にも破壊されたこの建物が「原爆戦争の象徴」ではなく「平和の象徴」として登録される事に奇妙な矛盾を感じられるだろうが、この言葉の中に人類最初の原爆の犠牲者としての日本人の平和の願いがこめられているのである。

 西暦六世紀に日本の聖徳太子が中国の随の皇帝に『日出づる国より』と私達の日本をそう呼んだ時より太陽の国として日本人の誇りの精神が、ヒロシマ、ナガサキに降った人工の一瞬の太陽によって脆くも打ち砕かれて、核兵器の前で唯、平和だけを祈る民族となってしまったからである。しかしながら、これこそが戦争の悲惨さを訴える民衆の姿ではないだろうか!

 かつての戦争が軍人達同士の殺しあいから、この原爆の様に、一都市に住む戦争とはまったく関係ない老人や女、子供までが一瞬のうちに殺傷される核戦争の時代では、もはや戦争は軍事上の一部に限定された問題ではなく、政治上の国民全体の問題となり、民衆の生存権の主張がそのまま平和への叫びとなるのである。原爆の被災国だからこそ、その民衆の平和への叫びは世界の人々の心に強く訴える事が出来るのであり、幸いに、原爆の被災国はそれから五十一年たった今なお、日本国一国だけに留まっているのはこの強い叫びあってこそだと信じるものである。 

 もし、原爆が投下されたヒロシマ、ナガサキからの平和への強い訴えがなかったとしたら、化学兵器の様に禁止条約があるにもかかわらず、どこかの国で、どこかの戦場で、何回となく使用されているであろう。ましてや、核兵器の所有が戦争の抑止力と信じている現状では核使用禁止条約は政治的には難しい問題であり、非常時には意味をなさない事であり、核の使用を止めるのは、まさにヒロシマ、ナガサキから民衆の平和の叫びを常に全世界の人々に強く訴えていくしか方法がないのである。

 その様な意味で、人類の警告として、ヒロシマの原爆ドームが世界遺産として登録された事は二十一世紀の人々に核戦争の抑止力として「平和の象徴」としての大きな遺産を残したと全世界が喜ぶべきである。

 日本が武力に驕れて全世界を相手に戦争をしてしまったその罪に対し、原爆投下という人工の太陽に焼かれるという罰を受けたのだと考えるならば、その裁きは同時に人類全体に与えられた運命の裁きなのでもある。

 一国の核の使用は、ヒロシマ、ナガサキの平和への祈りを打ち破るものであり、それはもはや止めようがない核戦争への序曲であり、人類破滅への運命が確実にやってくる、終末のラッパが吹かれた時なのである。その罪は最初の戦争国双方だけに帰されるものではなく、全人類がこのヒロシマ、ナガサキの平和の祈りを聞いていない、あるいは聞かなかった、聞こうと努力しなかったからだと私は言いたい。

 このヒロシマ、ナガサキからの祈りは、被災者だけに対する祈りではなく、人類への警告、平和への祈りなのである。さもなければ罪もない老人や女、子供達、一般市民までが一瞬のうちに命を奪われ、あるいは後遺症によって一生苦しんで死んでいった人達に対する祈りだけとするならば、原爆を投下した加害者達への恨みや罪がいつまでも強く残されてしまい、死者やその関係者達の怨恨となってしまうだろう。

 この非情で残忍な悪魔の大量殺人兵器が二度と使われないように世界の人々に将来にわたって訴え叫ぶ為に、人類の罪を背負ってヒロシマ、ナガサキの市民達が殉教したのだと祈ってあげなければ、死者の霊は浮かばれない。

 奇しくも長崎は四百年も前の古くからキリシタン迫害の地として多くのキリスト教信者が殉教したところであり、ナガサキの原爆爆心地は長崎港(三菱造船所)という最初の投下目標からはずれて、住民の半数がキリスト教信者であるという長崎でも最もカトリックの伝統ある地、浦上地区に落とされ、住民の六割以上の約一万人のキリスト教信者が一瞬の内に死んだ事からも将に殉教して死んでいったのだと祈りを全世界の人々が捧げなければならない。

 この事を全世界に示す意味でも先ず世界の様々なキリスト教の大司教のトップの方達が殉教への冥福と平和への祈りを捧げる為にナガサキに訪れる必要がある。

 又、ヒロシマの原爆ドームの世界遺産登録と同時に広島の厳島神社も登録された事はキリスト教のみでなく日本神道にとってもこの広島が世界平和にとって、核戦争の抑止力として精神的に重要な意味を持つ事だと暗示している様な気がするのだ。

 ヒロシマ、ナガサキに世界宗教の指導者達が世界平和の為に祈りを捧げて二度と核爆弾を人類の頭上に投下してはならない、第三次世界大戦すなわち終末戦争を起こしてはならない、と全世界の人々に呼びかける事がこの広島の世界遺産たる意義だと考える。

 単なる形だけの保存ではなく、この原爆ドームが真に何を意味しているのか、何を訴えようとしているのかを社会教育やマスメディアあるいは政治家や文化人、宗教者達を通して全世界の人々の意識の中に強く保存させ次の世代に継承していく事が急務ではないだろうか。

 もちろん核戦争だけを訴えるものではなく、通常兵器による戦争においても同様である。殺される側においては核戦争も通常兵器によるものでも殺される事には何ら変わりがないからである。しかし、殺す側の論理としては核による殺生と通常兵器による殺生ではその戦争の仕方に大きな変化が起きる。核による戦勝に真の勝利はないからである。

 赤子に銃の弾を撃ち放すような事が神や人々の前で行われたとしたら、その実行者がたとえ勝利を宣言したとしても誰がそれを許すだろうか?!

 核による殺人行為は多くの赤子やその母親、神に祈りを捧げている善良な市民までも一発の巨大な弾で焼き殺すのだから、一人の赤子を銃の弾で殺す事とは比較にならない程の大きな犯罪なのである。 幸い日本はこの核の被爆体験によって「核を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を一九七二年に国会で決議した唯一の国の為に、この様な最悪な人類の犯罪に日本国民が将来にわたって加担する事がないという事は嬉しい事である。

 しかし、核を持たないという事が国際政治の中で弱い立場に置かれるという状況は人類の健全なる精神の前において嘆かわしい状態である。子供が銃を向けている人の前に歩み寄って「銃を持たず、作らず、持ち込ませず」と強く主張した事が銃を向けている人達や見ている人々に何も影響を与えないとしたら、人間社会や国際政治などあってなきが如きの印象を与え、人類の精神と魂の滅亡を感じさせる以外の何ものでもない。

 核爆弾の被災より五十一年以上経った今日の世界、幸いにもヒロシマ、ナガサキに次ぐ原爆被災地がこの地球上のどの場所にも存在しない事は、人類の精神が核の抑止力として働いている証明として人類の将来に一つの光明として明るい希望を見い出せるのではないだろうか?!

 現実に一九六二年のキューバの地に核ミサイルの基地建設をめぐって米ソが鋭く対立し、核戦争が勃発するかしないかの瀬戸際まで進んだキューバ危機。全世界の人々が恐れていた悪夢が現実のものと化したと認識して、嫌という程の核の恐怖を味わったその時にそれを回避したものは、人々の神や仏への祈りと人類の精神への呼びかけではないだろうか?!

 この時、全世界の人々の心は一つになっていた。それは平和への祈りである。この様な事態の時、どんな有能な政治家や、専門知識を駆使して解説する学者や、善良ぶる文化人の声などいくら聞いても気休めにもならないと人々は知った。むしろ不安感を増すだけだと体験的に感じとった。ましてや娯楽やメロドラマ等を見る事など、下手なピエロの演技を見る様に喜劇どころか嫌悪感さえ抱く気分になったはずだ。

 人々は事態の進行を見守る中、精神の安定を自己の中に作り出そうと努力する事に生存の意義を確認したり、為政者達の良心を信じて神や仏の意志が強く働くように祈ったりして誰もが精神的に興奮していたと思う。

 そしてほんの一握りの為政者つまり米ソの最高指導者だけを除いて、ほとんどの事態を見守る地球上の人々にとって残された唯一の解決手段は『平和への祈り』だけである。核が戦争の抑止力となる事を信じる人はこの時、誰もこの地球上に一人もいなかったであろう。

 人類はこの時『戦争の抑止力』は核兵器の保有ではなく平和への祈りである事を体験的に知ったのである。子供でも老人でも女性でも、職業、人種に差別なく全人類が誰でも簡単に、そして人類起源の始めから今日まで変わりがない唯一の方法は平和への祈りである事を不変の歴史の事実として体験したのである。

 人類はこの事を忘れてはいけない。将来の人々にこの事を伝えなければならない。さもなければ将来において不測の事態によって人類は滅亡するかも知れないのだ。

 子供が平和への祈りを捧げているときに誰がこの子に銃を向けて弾を発射出来るだろうか。

 ましてやアメリカやキューバ、あるいはソ連に核ミサイルを発射する事は平和への祈りを捧げているもっと沢山の子供達に大きな灼熱の核の弾を撃ち込む事以上の事であり、その国に住む同胞に対しても、又あらゆる人種に対しても無差別殺人を行う事を誰が出来ようか。この行為は将に人間的ではなく悪魔的な殺人行為なのである。

 もしこの時、悪魔が核の発射ボタンを押させたとするならば、人類はヒロシマ、ナガサキに次ぐ第三番目の核の被災地は、もはやキューバやアメリカ、ソ連に留まらず、全世界の多くの国々がドミノ倒しの様に世界同時的に核の被災を受け、運良く被爆を逃れたとしても間接的な核の被害を受けて人類は滅亡するであろう。

 つまり、ヒロシマ、ナガサキに次ぐ核の被災地は地球なのである。 我々はもはや一国の政治的、軍事的な支配から離れて地球共同体としての認識の世界の中に突入したのである。核の所有は全世界の脅威であり、核の使用は全世界の滅亡である。

 誰しもが地球を核によって破壊や被災することを望まない様に、核を持つ国々はそれが敵国に向けて発射されるのではなく自らも住んでいる地球に向けて発射されるのだと認識を新たにしなければならない。そうすれば核を発射することも核を所有することも望まないはずである。

 この様な単純な発想は、ヒロシマ、ナガサキの地に訪れてその次の被災地はどこかと考えれば、子供でも誰でも考えつく発想なのである。それ故に車の運転免許者が時々安全の為の講習を受講しなければいけない様に、世界の核の所有国の為政者や軍事首脳部の人達そして宗教家や文化人がこのヒロシマ、ナガサキの地に時々訪れる必要がある。いや、その様に義務付ける必要がある。そしてヒロシマ、ナガサキの次の地は無いという事をここで考え、学ばなければならない。

 そういう意味でも、ヒロシマの原爆ドームが世界遺産として保存し、残されることは、核の被災者達への慰霊塔として、平和への礼拝堂として、人類の懺悔の場所として世界共通の重要な財産となりうるのである。

 私達はもうこれ以上核の悲惨さや被災を受ける事がないと、平和への繁栄を信じきって今日生きている時代であり、将来の子供達にもその様な事がないだろうと学校教育に熱心に励まさせている世代である。核も平和利用に使われ、人々の暮らしに役に立っていると思い始めている時代でもある。確かに核爆弾の使用が全世界を滅亡に追いやると全世界の人々に理解されている為に、核の所有国は所有するだけで使用はしないだろうと、全世界の人々がそう思っても当然である。奇妙にも核の唯一の被災国である日本人は特にそう思っているのではないかと思う。

 核の使用は運命であって、もはや人類の手から離れていて我々が考えても仕方がない事であると楽観的に生きようとしている人々が多い事も事実である。人類は馬鹿じゃないからヒロシマ、ナガサキに次ぐ都市は自分が生きている間にはもう無いと考えて生きている人もほとんどであろう。その証拠に今の人々にとって老後の事の方が重大なのである。

 しかし、この様に考えている人々に又もやヒロシマ、ナガサキに続く人類全体に投げかけた核による大惨事が起きた事を知らせたのである。多くの赤子だけでなく、子供から老人、身分職業、人種に差別なく核によるヒロシマ、ナガサキに次ぐ第三の被災地が生まれたのである。戦争による結果でなく、ちょっとした人間のミスから生まれた大事故である。

 しかしながら、ヒロシマ、ナガサキに次ぐとも言える新たな被災として勝るとも劣らない人類史上の核による大惨事であり、ヒロシマ、ナガサキの核の被災から四十一年目の事である。つまり、一九八六年旧ソ連邦ベラルーシの国境に近いウクライナ共和国領土内に起きたチェルノブイリ原子炉事故の事である。

 これは核爆弾ではなく核原子炉であるが、核爆弾が爆発的な核分裂に対し、核原子炉はコントロールしながら緩やかに核分裂をさせてその核分裂の際に生じる熱を利用して発電するもので、核爆弾が軍事的、戦争用に使われるのに対し、原子炉発電は経済的、平和利用に使われるものである。

 その様な平和的に利用されているにもかかわらず、ヒロシマ、ナガサキの被害に劣らないどころかむしろ広範囲の地域に大きな被害を与えたのは放射能の多量噴出によるものである。

 現在の核原子炉はヒロシマ、ナガサキに使用されたウラン、プルトニュームの放射線物質の量よりはるかに多くの量を使用している為に、一度、制御不可能な原子炉事故や致命的な原子炉破壊事故が起きれば、ヒロシマ、ナガサキを凌ぐ遥かな被害が予想されるが、原子爆弾が殺生を目的とする為に都市に落とされその直接的被害度が大きいのに対し、原子炉は安全を考え、都市より離れた地方の特定区域に建設される為に直接的な第一次災害はそれ程大きくない。

 しかしながら多量に拡散された放射性物質による第二次災害はヒロシマやナガサキとは比較にならない程の広範囲の地域を放射線汚染してしまい、その全地域を一世代、二世代にわたって不毛の地と化してしまうだけでなく、人間や動物ありとあらゆる生物に放射線障害を与え、その最大の物はガンという現代医学では今なお克服不可能な不治の病を引き起こす事である。

 特に際立って目立つのは生まれてくる子供達にそれによる大きな障害が現れている事であり、これから何世代にわたってチェルノブイリ周辺の子供達に人類が創り出した人工の太陽のコントロールミスにより生じた大きな不幸が、運命の如く長い間背負い架かり続けるのである。その数、数十万人。世界中の科学者が為すべき救助の方法も見つからずにガンで苦しんでいくのだ。

 この子供達が、かつて欧米から見たら敵国であった旧ソ連邦の子供達だからなのか、あるいは原子力発電を推進する大企業、政府の方針に障害となるからなのか、この子供達の大惨事の現状をマスコミは世界の人々にあまり訴えない。 ベトナム戦争の時はマスコミがこぞって毎日のようにその惨状を世界に知らせた為に、世界中のあらゆる階層や民族がこのベトナム戦争の悲惨さに悲しみ、怒り、そして反対をした。世界中の人々が人道主義に目覚め、そして勝利したのだ。

 ところが、このチェルノブイリ原発事故より十年も経ったのに、未だに事故原子炉から放射能が大気中に拡散している状態に対して、世界中の人々は目もくれないかの様に放置したままなのである。

 原発事故地より三十キロメートル圏内は封鎖され、そこに住む人々は強制移住というが、六十キロメートル圏内においても放射能量は低下せず、数百キロ離れた地域でさえ安全ではないのである。ベラルーシでは国土の四分の一が汚染され、二百五十万人もの人々が今なお放射線被害を受けている。消えた村が百八以上、今なお消滅しているという。ウクライナ共和国においても同様の被害である。彼等は今なお、生きる為に放射能汚染された農場でとれた食料を口にして生きている。将来に生きるウクライナやベラルーシの子供達は身体の中に不調を訴え、汚染された食料を口にし、汚染された土地の上を歩き回っているのである。もし仮に運良く生きられたとしても両親や親戚、友達の苦しみ、悲しみ、そして死という数多くの不幸な出来事を背負いながら生活をしていかなければならないのである。そして子供達に架せられたのは放射能汚染よりくるガンという不治の宣告。その対処にしても、ガンを早期発見したり検査したりする医療機械が不足あるいは中古で役に立たず、もしくは修理を要するという有り様である。

 この様な情況に何故世界は救援の手を差しのべないのか?!他人事ではないはずである。何故ならばこの事はウクライナやベラルーシだけの国に限った事ではない。つまり、アジアや西ヨーロッパ全体にも汚染地域が広がっているからなのだ。大気中まで考えたならば、将に地球的規模の汚染になっている。つまり、ヒロシマ、ナガサキの次は・・・地球だからだ。しかもヒロシマがウラニウム原爆で、ナガサキがプルトニウム原爆、そしてチェルノブイリはセシウム汚染と、人類はますます未知なる危険物質の恐怖の世界を創造してしまったのである。

 他人の事のように観ていると、やがて第二のチェルノブイリがやってくる日も遠くないだろう。チェルノブイリの子供達に起きた事は将来の地球の子供達にも起きる事なのである。他人事では済まされない問題である。

 だから、ベトナム戦争で見せたあの人道主義を世界が再一度甦らせて、この子供達を救えと声を大にして叫んでくれる事を強く主張したい。その声は平和を祈る声よりも強く人々の精神に訴え、人々の心を動かす大きな力となるからである。

 世界最初の原爆の被災国日本、そして放射線被爆で今なお苦しんでいる日本人がいる中で、ほとんどの多くの日本人が原爆の被爆さえ忘れかけて、経済大国という魔力の中で、パチンコという庶民の小さなギャンブル機械に年間三十兆円ものお金を消費し、夜は酒や快楽で時を過ごし、子供達は受験勉強とコンピューターゲーム機で遊んでいるという状況である。

 戦後五十一年の平和の下で平和ボケとなって他の国や他人の不幸など気にもしないで今の現状の姿で生きていられる事が原爆被爆国の見返りの保障ならば、かつて日出づる国としての日本人の誇りの精神は人工の太陽によって焼き殺されて、パチンコと酒と快楽とゲームを求めるだけの平和を祈っている哀れな日本人の末路の姿に、殉教の思いで原爆で死んでいった日本人の霊はどこへ行ってしまうのであろう。その様な姿を見るのは同じ日本人として恥ずかしいし、嫌になる。この様な日本人の悲しみ、苦しみ、そして死に同情し、同居することに不快感を覚えるのである。

 私はその程度の安全という保障ならばそれを捨て、ヒロシマ、ナガサキの原爆被災の頃に戻って多少の放射能の危険も省みずに日本人の精神まで焼き殺されないよう、彼等に救助の手を差しのべたい気持ちにかられる。それ故にヒロシマ、ナガサキに次ぐ第三の被災地、チェルノブイリに救助の手を差しのべる決意をしたのであり、それは被爆国日本の『日出づる国』の精神でもあり、その精神の遺産を守る事がヒロシマ原爆ドームの遺産を真に保存する事の意義だと私は信じている。ヒロシマ、ナガサキの原爆の光を見て地球に降り立ったという意識が再びチェルノブイリという地球的汚染の中に生身の私自身を飛び込ませるのである。 つまり、今なお放射能汚染されている地域のガンに苦しむ子供達や、将来ガンになると思われる子供達に、私は太陽のように暖かい大きな手を差しのべるプロジェクトを開始したのである。

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