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ふるさとの随想(タイムス5号より)

ふるさとの随想(霊芝茶ブレイク その2)

五井野正

魚の夢

 今朝、また大きな池に沢山の小魚が泳いでいる夢を見て起きてしまった。

 夢を見ている時は、その池の場所は家からそう遠くない所だと思っていたが、起きてみると、それが昔住んでいた川崎の家からなのか、今住んでいる信州の家からなのか、全く空間も時間も違う。

 只、いつもの夢と違うのは汚い茶色の水の池で、いつもは透明な清らかな小川の夢を見るのだが、私はその池の水面があちこちで跳ねているので、まさかと覗いたら小魚がウヨウヨいたのでこれは大変だ、こんな所に魚が泳いでいると思い、これだったら網ですくえてバケツの中に入れて帰れるけど私の家の池(ここで今の信州の家を考えている)は池が汚いし、………今は(現実の季節を考え、今は冬に向かっていると意識する)冬になるから氷が張って魚が死んでしまうかも知れない。……大町のアトリエはどうか……ああ…池がある。あそこなら大丈夫かも知れない。魚が生きているから大丈夫かも知れないと、此処まで考えていると目が覚めてしまった。ああ、また夢か、一生懸命考えたのに結論は夢かと想いながらも残ったのは小さな心の膨らみである。

 昔は自然があって、みんなの心もまだ良かった。今は化学の世界に変わって自然のみならずみんなの心も身体もおかしくなっている。

 私は三十年前頃には公害の町、川崎に住んでいた。小さい頃には夏になると新潟県の高田市の田舎に行って、暑い日中でも魚を捕りに行ったり、畑に行ってスイカやマクワウリ(日本メロン)を採りに行った。山が好きで近くの山に行ったり、妙高山に行ったり、時には日本海の海に行ったりで、親戚の宿泊所の親から、子供なのに遠出をしてと心配され、驚きながらの説教もされた。

 高校生になると田舎に行く事が無くなり、毎夏信州に旅行したが、もうあれだけ楽しかった魚取りはしなくなった。

 ところが今でも夢の中では魚採りをする訳ではないが、池や小川があると魚はいるだろうかとずっと覗き込み、小魚が泳いでいると喜び、夢ではない今度こそ現実だと心が跳ねてそのまま起きてしまって、今度も夢かと言い知れぬ気持ちになってしまう事が度々ある。

 そして、この魚の夢の件から、今の子供は可哀想だ、今の親は子供の心を考えていない、こうなったのも学校教育の大きな問題だと怒りを感じる。

 何故、こんなに魚の夢を見るかというと、実はもう信州に来てから十五年位経つけれど、農薬のせいだと思うが小川に藻や水草があるのに魚が一匹もいない。蛙も始めの頃は沢山いて、雨の日などは道路上に一面に繰り出してくるから引き殺してしまう為に、車で通るのが大変な気持ちになったものだ。蝶々もそれなりに少しいたしトンボは今でもいるが、私の家は林の中なので時々カブト虫を見つける事もある。それよりも始めの頃は家が少なかったから、リスや兎、フクロウ等を良く見つけたが、近くの山に行けば狐や狸、猿にはよく出会った。そして熊こそは見ないが鹿までにも遭遇した。お互いに見つめ合ったりするから面白かったものだ。

安曇野の生活

 こう述べると私の家は山奥に有るんだろうと、皆さんは想像するでしょう。実際、私の知人(マスコミ関係者が多いが)が私の家に来る時は、リュックに登山用ジャンパー、山歩き用の靴でやって来るのでお互いに驚く。

 私の家の場所は安曇野と呼ばれた平野で日本で一番最初に創られた学者村である。

 始めの頃は学者や高級官僚、文化人、経済人の別荘しかなく、人が常駐して住む事は無かったけれども、今はあちこちに美術館やしゃれた喫茶店があり、次世代若しくは他の人達が自宅として住んでいて山奥と言うよりは軽井沢と言った方がイメージに合う。 しかも、私の家は洋式の白い大きな建物で大きな自動式門で入り、庭は芝生と白樺で彩られ、人工池や造園と果樹や桜、桃、モミジ、ツツジ等の色とりどりの木に囲まれて都会人の憧れの生活だから、毎年私の家の周囲で小学校の生徒たちがピクニックに来て弁当箱を開いている光景に出会うが、教師曰く、素晴らしい家だから子供達の勉強の場と思って、と言われる位である。

 しかし、ここ数年前に、もう一軒現代的な大きな家(大手建設会社のはやりのインスタント工法の家)を建ててから、前程の景観が無くなって、そう言えば、それからは子供達にもお目にかかれる事も無くなった。家に対する憧れも無くなって、それこそ私の家は『コウ』と言う名の偉い奴の一代の子供『シマ』と二代目の子供『ター助』の為に有り、シマはもう十六歳の年寄り犬だから、これが居なくなったら、私も信州の家を去る様な感じである。今はター助の庭となって、あちこちに靴や毛布、服、食器、道具類が散乱しており、イタチゴッコに疲れて残骸を残したままになっている。

ウイッピー芸術院の生活

 私の家に対する自慢は大町市にあるアトリエの方に移ってしまい貴客だけを招待し、それこそ皇族、大臣の来客用にも作られており、来客される人達は皆驚き、感激して帰っている。

 パーティー室での食器は全てウイッピー芸術院製造の純銀食器と江戸時代の伊万里、世界のあらゆる高級なアルコール類が常時備わって、別室では、ふる里村式茶室や展示室、天然温泉にカラオケルーム等もあり、更に世界トップの美術品の鑑賞も出来る様になっている。ここで感動、感激しない人はたとえ国王であろうとも大成金であろうと一人も居ないと豪語できる。私の芸術院、人呼んで竜宮城と言われる場所である。

 私の子供の頃の高田市の田舎は、面影だけは残っているが息子の時代となり、つきあいが無くなっただけでなく、あの小魚のたくさんいた小川はコンクリートの側溝に変わって一匹の魚もついには見る事が出来なかった。

 三才の頃から住んでいた川崎市中原区は、子供の頃こそ、ザリガニやオタマジャクシや、通称三角池には小魚が生息していたが、今では人口は都市並に増加しても、その分、人情は薄れて、なつかしい人達はどこに移ったか?帰っても会いたい人は誰もいないし、田舎の祭の様な、なつかしい人に会えるというふる里の世界もない。

 しかし、ここ信州には自然がふる里であり、海外から帰ると丁度ツツジが満開を過ぎた処だとか、桜が終わり掛けている頃だとか、紅葉に入った処だとか、もうシマとター助と散歩をする時などは本当に感激の道なのです。

 都会の人々は夏と冬のスキーシーズンの祭日週末だけにドカッと来るけれど、信州は夏や冬のレクリエーション時よりも春、秋の自然景観の方が人間的にも素晴らしく、特に紅葉の露天風呂は、温泉場に行く迄の道の景観とのんびり温泉に浸かって紅葉とアルプスを楽しむその景観は、心と気持ちの人間世界である。

心のふる里

 私の心のふる里である高校時代の同期の人々にこんな世界を教えて楽しませてあげたいと思うし、観たら人生が変わる位に驚くべき超一流の美術品も観せてあげたい。或いはどんな病気も治し若返らしてあげたいという想いは、ふる里に住む人々のふる里の祭の出会い以上の気持ちの世界なのだが、今では唯一つ私に残された心のふる里であり心の楽しみ、名残りなのである。

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